携帯電話のない時代の約束
ときどき思い出す、「あれはなんだったんだろう?」という体験を、記憶をたどりながら文章にしていきたいと思います。
今から35年程前。まだ、みんなが一人1台づつ携帯電話を持っていなかった時代。
「今どこにいるの?」
当時は、それぞれの居場所を、出先で連絡を取り合って確認する手段がありませんでした。人と人との約束は”時間と場所”だけが頼りでした。
約束した場所で起きたこと
約35年前のある日、学生時代からの友人Aちゃんと電話で話をしていました。

そうそう、今度ね職場の同僚数人で1泊旅行の計画があるんだ

じゃあ帰りは○○駅まで車で迎えに行くよ
Aちゃんは優しくて、面白くて、よく色んな相談にも乗ってくれる大切な友人。
「迎えにいくよ」そんなありがたい言葉に甘えて、大きな駅の少し離れた場所で待ち合わせる約束をしました。その場所は、Aちゃんとの待ち合わせに何度か使っていたところでした。
1泊旅行を終えた私は、少し早めに待ち合わせの場所に着いていました。
約束の時間を過ぎても、Aちゃんは現れません。
道が混んでいるのかもしれない。そう考えて、そのまま待っていました。キョロキョロと辺りを見回しながら、とにかくその場で立って待っていました。
1時間後。まだ来ない。流石に心配になりました。今まで彼女が約束の時間に遅れたことなんてなかったのに。
似た車が目に入るとホッとし、違うとガッカリする。
体調不良になったとか?まさか事故なんてことないよね・・・。もしかして私が時間と場所を間違えたのかも?色々なことが頭をよぎりました。

赤い公衆電話
結局、現れる気配はなく。「しかたがない、今日は帰るしかないか」と思いました。日も段々と暮れて、薄暗くなってきた時、ポッとついた明かりが視界に入りました。その明かりは小さなタバコ屋さんに灯ったもので、店先には赤い公衆電話が置かれていました。
あれ?あんな場所にタバコ屋さんなんてあったかな?
その赤い公衆電話がとても印象的で、Aちゃんの家に電話をかけてみようと思い立ちました。 一瞬その場から離れることに迷いはありましたが、待ち合わせの場所が見える所にあったので、何度か振り返りながら、とにかく行ってみることにしました。
昔ながらの、店番のお婆さんがガラス窓の向こうに座っているタバコ屋さん。
当時の一般的な公衆電話は緑色で、テレホンカードと硬貨のどちらでも使えるものが多かった。目の前の赤い公衆電話は古い型のはずなのに、まるで磨かれたように光沢があって、電灯の光を反射していました。硬貨しか入らないタイプだったので、小銭をお財布から探してAちゃんの家に電話をしました。
呼び出し音が数回鳴ったあと、「はい、○○です」という声。若い女性の声でした。事情を説明すると、「Aがいま、家に居ないということしかわからない」という返事。
Aちゃんが家にいないということは、こちらに向かっているということ。私は待ち合わせ場所に戻り、そこからさらに30分程待ちましたが、結局Aちゃんは来ませんでした。
体調不良や、事故でありませんように。そう思いながら、私は家へ帰ることにしました。

確認作業が始まる
帰宅すると、母が「Aちゃんから2回電話がかかってきたのよ。会えなかったの?」と言いました。その直後、電話が鳴り、私が受話器を取るとAちゃんの声が聞こえました。音の気配で公衆電話からだと分かりました。

あ!いたいた。今日約束してたよね・・・旅行で何かあったの?

えーと、私ずっと、約束した時間にあの場所にいたんだけど
そう返事をしながらどうなってるんだ?と考えていました。時間と場所を何度確認しても、2人とも間違ってはいなかった。最初はからかわれているのかな?とも思ったんですが、そんな雰囲気ではなく。
同じ場所にいたはずなのにどうして
Aちゃんはウソをついたり、スッポカすよう子ではない。第一、そんなことをする理由がない。
2人でなんでだろう?と話しながら、とにかくお互いに無事だったことに安堵しました。
会って話せば分かるだろうと考え、数日後、同じ時間・同じ場所で会う約束をして電話を切りました。
さらなる謎
数日後、約束の場所で今度はちゃんと会えました。「やっと会えたよー」と笑い合いながら、お互いに「ここで待ってたんだけどな」と同じ場所を指さしていました。
え?そんなこと、ある???
Aちゃんとわたしは「いやいや、ほんとに?」「ここだよ?」と二人で指差し確認。
やっぱり同じ時間、同じ場所に居たことになる。何度考えてもなんで?という言葉しか出てきませんでした。
お互い首をひねりながら、半笑いのひきつり顔で考え込んでいました。人間、受け入れられないことがあると半笑いになるのかもしれません。
私はタバコ屋さんを指さそうとしましたが、お店はシャッターがしまっていて赤い公衆電話は見えませんでした。

今日はシャッターが閉まってるんだけど、あそこはタバコ屋さんでね。店先にあった赤い公衆電話からAちゃんの家に連絡したんだよ。Aちゃんもあそこからうちにかけてくれたの?

あのシャッターが閉まっている所はタバコ屋さんなんだね。赤い公衆電話なんかあったら目につくと思うけどなぁ。あの日は気付かなかったよ。私は駅前の電話ボックスから連絡したよ。それと、うちに電話してくれていたの?
わたしの頭の中では・・・
- 今日はたまたまシャッターがしまっているのかもしれない
- 前に約束した日は、赤い公衆電話がAちゃんの目に留まらなかっただけかもしれない
- Aちゃんの家に電話をした時に話をしたのは、妹とか親戚の女の子とかで、私から電話があったことをAちゃんに言いそびれてしまったのかもしれない・・・
とにかくなんか変だと思った。この話題を変えたかった。
「これお土産!」とAちゃんに旅のお土産のクッキー🍪を渡し、近所のファミレスでおしゃべりしてから車で送ってもらい帰宅しました。
約束した場所で会えなかった話は、なんとなく2人の間でこれ以上することはありませんでした。なんだか触れてはいけない話題のような気がしたのもありました。
思考停止
この出来事は、深掘ってはいけないような気がして、そのまま時が過ぎていきました。
今になって考えてみれば、あらためて一人で同じ時間に約束していた場所へ行き、タバコ屋さんや赤い公衆電話が本当にあったのか確認すればよかったのかもしれません。
それに、待ち合わせの場所は大きな駅の近くでいつも人通りがあるのに、あの時は車が数台通っただけで、誰も人が通らなかったことも変だと感じました。それも検証すれば良かったのではないかと思います。
でも、当時は本当に怖かったんです。後日行ってみて、もしタバコ屋さんがなかったら?もし赤い公衆電話がなかったら?私はどこにいたことになるの?本当は誰と電話でしゃべったの?同じ場所に居たのに会えないなんておかしいじゃない。
またあの場所へ行ったら今度は帰ってこられなくなるんじゃないかと想像してしまい、詳しく調べることや考えることをやめてしまいました。
おわりに

現実の不思議さと私たちの世界
あのとき、私たちは確かに「同じ場所」にいたはずなのに、どうしても会うことができなかった。時間も場所も間違えていない。それなのに、まるで別々の世界にいたかのようにお互いの存在は全くなかった。すれ違うことさえなかった。
もしかすると、ほんの一瞬、私たちは違う次元にいたのかもしれません。目には見えない、時空のほころびのようなものの影響で、私たちはすれ違ってしまったのかも。
そんなことを考えると、ふとした瞬間に”不思議”が顔をのぞかせることがあるのだと思えて、怖さの中に少しロマンを感じてしまうのです。
あの体験は、今でも私の心の中に、静かに残っている小さな謎です。そして、この広い世界には、まだまだ私たちが知らない不思議がたくさん眠っているのかもしれません。いま、この瞬間にも。
信じるか信じないかは、あなた次第です。←これ言ってみたかった!